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すべては有珠山の噴火から始まった

北海道伊達市にある建築会社・小松建設の社長である小松幸雄が、ほたて漆喰の開発をスタートしたきっかけは、有珠山の噴火でした。2000年3月31日の噴火直後、降り積もった灰色の火山灰を目にして、
「この厄介者を、建築の世界で蘇らせることはできないか?」と考えたのです。
火山灰を主原料としたシラス壁はすでに他社で商品化されていたため、小松は、北海道が抱える課題を解決できる「別の素材」を探し、本業である建築工事業と並行して建築材料の開発を目指すこととなります。

捨てられていたホタテの
貝殻に光を当てる

1952年にホタテ貝の養殖が始まってから70年以上の歳月が流れました。今や北海道は日本一の産地であり、ホタテ貝は北海道の経済を支える存在です。
その一方で、貝柱を取ったあとの貝殻はほとんど利活用されることがなく、毎年20万トンの貝殻が廃棄され、海岸にうず高く積まれるままになっていました。
小松がホタテ貝殻に目をつけるまでに、さほど時間はかかりませんでした。

「ホタテ貝を粉末状にすれば、
建築の材料になるはずだ」

小松は、捨てられていた貝殻を新たな資源と考えたのです。

ほたて漆喰がより
幅広く使われるように

ホタテ貝殻を粉末にする工程は、道東・標津町の株式会社ビッシェルに委託。
初めて見て、手に取った瞬間に「これは使える!」と確信しました。
貝殻特有の生臭さがなく、白色に近く、そして均一に整えられた粉末。
まさに追い求めていた骨材そのものです。これを機に「ほたて漆喰」の開発が進みました。
当初は自社施工物件の差別化材料として考えていたのですが、本州方面の工務店からの「ほたて漆喰をぜひ使いたい」との要望に応える形で「あいもり株式会社」を創業し、製造・販売業へ進出することとなります。

逆風を乗り越えて

前例のないホタテ貝殻を利用した壁材の導入に、当初は反発・疑問の声も多く上がりました。
ですが決して諦めることなく、小松は各方面に粘り強く説得を続けます。
1件…また1件とほたて漆喰を使ってくれるお客様が増え、その輪はやがてドイツをはじめとする海外にも広がりました。
世上に広まりを見せたSDGsの波にも乗り、ほたて漆喰は更に販路を拡大してゆきます。

自然豊かな大地と共に

やがて元号が変わった令和5(2023)年。
東京都港区六本木にある森美術館(六本木ヒルズ森タワー内)において
『私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために』が幕を開けます。
天皇・皇后両陛下もご来場なさったこの展覧会に、あいもり株式会社はホタテ貝殻を提供しました。
スウェーデン出身のネイチャーアーティスト「ニナ・カネル(Nina Canell)」氏と共に、美術館の床にホタテ貝殻を敷き詰め、
自然と芸術の融合を表現したのです。

有珠山の噴火から始まり、伊達という地に種が蒔かれたホタテ漆喰事業は、
令和の時代になって大きな樹に成長を遂げました。
あいもり株式会社は、これからも弛まぬ努力の元、更なる成長を遂げるべく邁進して参ります。

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