ヒストリー

ほたて漆喰 HISTORY

はじめに

小松幸雄がほたて漆喰の開発を始めたのは忘れもしません2000年3月31日、有珠山が噴火した直後であります。『降り積もった灰色の火山灰を目の前にして、これを壁材にできないか?』
そう考えたのがはじまりであります。しかし火山灰を主原料としたシラス壁は既に他社で商品化されていました。それでも自然の息吹きにより生み出されるやっかいものを自分の技術で再生させ建築の世界で蘇らせることはできないか?41歳の小松幸雄は本業である建築工事業と並行して建築材料の開発を目指すこととなります。今、振り返るとこれが試練のはじまりでした。
その後、ホタテ貝を粉末状にして塗り壁材を試験施工するまでにはさほど時間はかかりませんでした。ホタテ貝殻粉末を初めて見て、手に取った瞬間『これは使える!』と直感したのです。
貝殻特有の生臭い匂いは無く、白色に近い、そして均一に整えられた粉末はまさに追い求めていた骨材、そのものでした。私はそんな美しくシンプルなホタテ貝殻に心底惚れてしまった訳です。

「ほたて漆喰壁」開発当初は、自社施工物件だけの差別化材料として考えていたのですが、本州方面の工務店数社から「ほたて漆喰」を是非使いたいとの要望を受けました。これに呼応するかたちであいもり㈱を創業し、製造・販売業へ進出することに至ります。では何故ホタテ貝なのか?ホタテ貝殻でなければならないのか?小松幸雄のこだわりについて次頁から説明いたします。

左官の技

左官材料というものは、とくにその仕上げにおいて、他の仕上げ材に比べて圧倒的な多様性を持っています。粒子の大きさで風合いを変える、色を加える、コテで模様をつける、表面を磨く、などなど数え上げればきりがありません。このような仕上げの変化は壁紙や塗料などでは考えられません。こうした多様性を持った材料を使う左官職人は、わが国の美意識や文化の深さ、そして器用さによってその技術を世界最高とまで言われるほどに高めてきました。また地域独自の左官材料や左官技術も生まれ、わが国の建築文化に深みを加える大きな役割を果たしてきたのです。

『いい建築の仕事をするには、腕のある大工だけじゃだめ。いい左官職人が絶対に必要』と意識の高い工務店の人は言います。それだけ建築にとって左官工事は重要なポイントになり、そのために技術を持った左官職人を抱えておくことが工務店にとって大切だということを表しています。
実際、建築工事において左官職人の地位というのは大工と並んで高いものです。左官職人の仕事を見ていると簡単にやっているように思ってしまいますが、とても奥が深い技術なのです。
ほたて漆喰の開発に際し、左官職人との協働がなければ成り得なかったことは言うまでもありません。浜松市在住の水野氏、伊達市在住の坂本氏には本当にお世話になりました。この場をかりて感謝を申し上げたいと思います。私にとって左官職人はまさに人生の師であると言っても過言ではありません。

天空の白鷲 姫路城平成の大修理

2009年に始まった大天守の修理は5年半の歳月と24億円の工費、15,000人の職人を動員して行われました。
2012年10月に私自身が見学した際の写真を掲載します。
私はこの大修理を見て改めて日本人の技術に感銘し、様々な建築物における美を表現する技能の中でも左官のワザは際立っていることを確信したのです。

すっぽりと囲われた大天守閣

江戸時代に使われていた左官道具

そだ小舞 漆喰下地土壁の芯材

工事現場入口には左官職人のパネルが

姫路城の漆喰を解説したパネル

姫路城の外カベを保護する漆喰の構造

漆喰下地の土壁、中塗り2層

漆喰中塗り、上塗り合計2層

見学に来ていた幼稚園児

職人が作業する様子を見学することができました

みごとに完成した世界遺産姫路城は、「白鷺城」と表現される世界一美しい城郭建築です

左官材料とは

左官材料というのは、一般的に細かく砕いた土や石などに水を加えて練り、それを左官職人がコテで塗っていくものを指します。わが国の特に本州以南では、「土壁」は壁をつくるときの方法として「板壁」と並んでもっとも一般的に用いられてきました。伝統的な土壁は竹や細い木を組んで土を塗る土台をつくり(小舞とよばれる)、そこに土を塗りつけて壁をつくっていきます。いくつかの工程を経て下地ができあがると、漆喰などで仕上げられます。

左官材料の多くは固まるとひび割れを起こしやすいものです。それを防止するために使われるのが「スサ」と呼ばれるものです。また、施工性を上げることと接着力を高めるために糊が入れられます。左官材料の主役を担ってきたのは「石灰」や「石膏」、そして近年では「セメントモルタル」です。このようなカルシウムでできた成分は水を加えると固まる性質をもっているからです。これらはわが国に限らず、世界中で建築や芸術に使われてきています。世界を見渡してもとくにわが国の左官技術のレベルは高く、戦国時代にわが国を訪れたヨーロッパの知識人がある城の漆喰仕上げを見て驚愕の声を上げたといいます。戦後壁紙や塗料などの普及によりこうした左官技術が失われつつあるのは残念なことです。

ホタテ貝は人と環境にやさしい左官材料

一般的に「漆喰」とは消石灰に砂、糊、麻スサや紙スサを混ぜて、水練りしたものです。
このときの消石灰のことを普通は「せっかい」と呼んでいますが、粘土や珪藻土とは違い、主に石灰岩を高温で焼いて生石灰(きせっかい)とし、これに水分を与えて消化(水和反応)させてつくられるのが消石灰(水酸化カルシウム)なのです。これを水練りして壁に塗ると空気中の二酸化炭素と反応を起こし、石灰石の成分に戻っていくことで徐々に硬化していく、この一連の化学反応が漆喰壁のサイクルなのです。

ホタテの貝殻もまさに石灰岩やサンゴと同様にその組成は炭酸カルシウムです。
ホタテ貝だけではなく、古来から牡蠣やアサリなど貝殻を原料とした貝灰(かいばい)と呼ばれる漆喰材は全国各地で使われていました。従って、ほたて漆喰は特別新しい素材ではありません。太古の昔から使われていた素材としてホタテ貝が現代に蘇ったのです。

持続可能な素材ホタテ貝

生ホタテ貝の生産量は現在全国で50万トンを超えています。その大半は北海道で生産されているのですが、そのほとんどは養殖によって安定的に生産されています。つまり漁業者や水産加工業者にとってホタテ貝は生活の根幹を形成しているのです。農林水産省が発表している2016年度の主な農林水産物の輸出数量・金額ではホタテ貝が62,300トン、輸出額548億円で断トツ1位であります。北海道では漁業者の収入の9割をホタテ貝の養殖が担っています。つまり、北海道いや日本においてホタテ貝が担っている経済影響力は莫大なものがあるということになるのです。このような中で毎年20万トンの貝殻が排出されていることも事実であり、我々はそれを建築材料として再生する責務を負っていると痛感している所です。ホタテ貝殻は産業廃棄物ではありません。水産系の未利用資源であるホタテ貝殻を私たちはサスティナブルな素材として活用していく所存です。

JAPAN QUALITYへのこだわり

国内で販売されている内外装塗り壁材は数えきれないくらい存在します。メーカーも材種も多種多様、土壁系、漆喰系、珪藻土系、火山灰系、大理石粉系、化学物質系、などなど。
生産地も国内は北海道から本州、九州、沖縄まで。そして海外は韓国産、中国産、北米産、欧州産、産地不明など。では、その違いは?価格差は?性能は?消費者にとっても悩ましい選択肢であると思います。このような状況の中で私たちは日本国内の原材料を使用し、国内工場で生産することを基本としています。ほたて漆喰の主成分であるホタテ貝殻粉末は北海道産、消石灰は栃木県産、生産はもちろん北海道伊達市の自社工場で製品化しています。
まさにJAPAN QUALITY、メイドイン・ジャパンが私たちのこだわりです。

むすびに

私がほたて漆喰を製品化し販売を始めた2002年春、会社に1通の訴状が届きました。
恐る恐る開封するとやはり、あいもり株式会社を訴える訴状でした。生まれて初めて見る訴状に気が動転したことは言うまでもありません。その後、知り合いを頼って東京のある弁護士事務所へ相談に行き今は亡きK先生と出会います。そして先生に泣きついたところ、福島なまりの話し方で『あんた、新たな商品を作ってこんなことでビビってるんだったら会社たたんだ方がいい』と叱責されたことを今でも忘れません。私はこの時、商品開発とは企業間の戦いであることをK先生から学びました。不正競争防止法という嫌疑で訴えられた裁判は3年ほど続き最高裁判所まで持ち込まれ最終的には勝訴しましたが、それが私のほたて漆喰を世へ送りだした最初の試練でした。しかし、ほたて漆喰という材料を開発する中で多くの研究者との出会いが生まれました。更に全国で志をともにすることが出来る設計者や建築関係の仲間がたくさんできました。『たかがホタテ、されどホタテ』。
現在までに全国、全世界で「ほたて漆喰」を通して多くの方々と出会い、そして感動を頂戴しました。一人一人に感謝申し上げ、ほたて漆喰ヒストリーを結びたいと思います。

あいもり株式会社 代表取締役 小松幸雄

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